ロボット向けアプリケーションの開発などを手がけるパルスボッツ。創業者である美馬直輝は、それまで自身が経営していた制作会社の代表の座を譲り、未知なるロボット分野で起業します。決断の背景には、「ロボットとは新しいインターフェイスである」という、美馬ならではの気付きがありました。

 

アーティストとして生きるべきか、プロデューサーとして生きるべきか

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▲代表取締役CEO・美馬直輝

 

「実は、もともとはアーティスト志望だった人間なんですよ」――そう話す美馬は、大学時代、絵画や映像作品の制作に力を注いでいました。そうした彼がこの世界に足を踏み入れることになったきっかけは、在学中に友人から紹介された会社のCI(Corporate Identity)  デザインの仕事。

美馬 「会社のロゴや名刺を作ったあと、Webの方を何回修正しても社長からOKが出なくて。時給にしてもらって働き始めたら卒業後はそのまま社員になっていました。創作活動も続けていましたが時代的にWebの案件がどんどん来るようになり……。気がつけば仕事の中心になってたんです」

実践の場で学びながらWebに関連するスキルを高めていく美馬が、同じ友人からの紹介により2006年に入社したのが、当時Web制作を手がけていた株式会社ライトニング。ここから、プロデューサーとしてのキャリアをスタートすることになります。

ライトニング入社後、ますます忙しくなっていく中で美馬がぶつかった問題が、「創作活動を続けるべきか」というものでした。仕事を終えた後に夜通し作品を制作することもあった彼は、徐々にアーティストとプロデューサーという2つの活動を両立させることが難しくなっていきます。

美馬 「創作に十分な時間や精神力を使えず、満足のいく作品が作れなくなっていた一方、ライトニングでは入社3年目くらいに取締役にならないかという提案があったんです。自分としても、どちらかを選ばないといけない段階だな、という意識が芽生えてきました」

決断を後押ししたのは、美馬の“ある気付き”でした。それは、多くのクリエイターが、40歳前後を境として、自身の創作を追求するか、人の力をまとめるプロデュースにシフトするか、という2つの選択の狭間で迷いはじめるというものです。

美馬 「今でこそ、二足のわらじでやっている人もいるんですけど、その頃はどっちか選ばなきゃと思ったんですよね。結局40歳くらいで悩むんだっていうなら、自分は今からプロデューサーというところで磨いていこうって思ったんです。

自分で発想して、それをプロデュースみたいな形で人と一緒にモノを作るほうが、結局長いこと面白いことできるんじゃないかって。そこから、自分の制作は基本的にはやらないっていうような方向にシフトしました」

「自分のキャラとちょっと違うな」笑顔なく仕事に没頭する自分への違和感

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▲26歳当時の美馬。雑誌、「ウェブデザイニング」に掲載されました

 

自身の創作活動をやめ、プロデューサーとしての仕事に専念できる時間を得た美馬でしたが、そんな時間を埋めるように、次々と制作の仕事が舞い込んできました。

  美馬 「当時の僕は、常にひとりで2桁の案件を同時進行しているような状況でした。気がつくと、会社の売上の大部分を占めるプロジェクトを自分が担当しているような状況になっていて……。本当にめっちゃ仕事していましたね」

やがて、美馬はWebサイトのデザインだけでなく、携帯電話の画面などのインターフェイスをデザインする仕事にも関わることに。そのなかには、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」とコラボした携帯電話など、発売当時に大きく話題となったものもありました。

このような華々しい成果をあげる一方、美馬の頭には、自身の仕事のやり方への疑問がよぎることがありました。彼は、ときにプロデューサーとして、クオリティへのこだわりから目上のクリエイターに対しても厳しく当たることもあったため、いつしか周囲から恐れられる存在になっていたのです。

美馬 「当時は気を張って仕事をするあまり、本当サイボーグみたいになっちゃっていて。でも、自分の本来のキャラクターは違うので、『持ち味はもっとほかのところにあるのにな……』という気持ちを抱えながら仕事をしてました。なんというか、『俺は人間に戻りたい!』っていうか。笑」

そうしたタイミングで、ある事態が起きます。それまで制作を主たる事業としていたライトニングが、経営方針の転換により制作業務から手を離すことになったのです。

これこそ、美馬が一社目のハイジ・インターフェイス株式会社(以下「ハイジ」)を起業するきっかけとなります。

他に行きたい会社がないなら、自分で創ればいい

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ライトニングは制作を手放す。そして、自分はその制作案件の大半を抱えている。加えて、他に行きたい会社があるわけでもない。ならば、と美馬は人生ではじめての起業という道を選ぶことになります。

美馬 「ライトニングの社長は、僕にとって仕事上の親のような存在で、いろいろなことを学ばせてもらいました。なので、別の社長のもとで働くというのは想像がつかなかったということもあって。幸運にも 案件はたくさんある。だったら起業しようってなった感じでしたね」

こうして設立したハイジでは、美馬はあえて、”ゼロから会社の文化を作る”ことにこだわります。「自分の持ち味やノリを出すなら、社会人になってからの自分を知らない人間と一緒にやったほうがいい」。そう思った美馬は学生時代の友人に声をかけます。

  美馬 「ハイジの創業にあたって、学生時代から付き合っていて、IT業界にいる人間に声をかけました。彼らもちょうど環境を変えようと考えていたため、一緒にハイジを立ち上げたんです。彼らは僕があまり詳しくないシステム系の分野などにも精通していたので、互いの知識を持ち寄ることで仕事の裾野を広げることができました」

ハイジ設立後、「ヱヴァンゲリオン新劇場版」コラボスマホなど、インターフェイスのデザインを続けるなか、美馬はある日、「人間中心設計専門家」という認定資格の存在を知ります。この資格は、「使う人間を中心にしたモノづくり」の専門家を認定するものです。

美馬 「認定の審査を受ける過程で、試験内容に『今まで行ったプロジェクトを体系化して書く』というのがあって。それがきっかけで、僕がやってきたコトを客観的に振り返ることができたんです。そうすると、自分の仕事のカタチが確立されたような気がして、その頃には自分がやりたかった会社の文化づくりもできていたんで『さて次なにやろうかな』って探していました」

次なる一歩を探っていた美馬に、2014年、大きな転機が訪れます。それが、当時話題となっていた感情認識ヒューマノイドロボット「Pepper」との出会いでした。

  美馬  「Apple創業者スティーブ・ジョブズが亡くなったあと、『iPhoneの発表で感じたような興奮があまりおきないな』ってタイミングでPepperと出会って。その時、ジョブズがいた時と同じような興奮を感じたんです」

ロボットが当たり前に人と共存する未来を目指して

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▲ura pepper world 2017にて

 

同じロボットであっても、そこに見える可能性は人それぞれ違うでしょう。長らくデザインのみならず、様々なインターフェイスを作り続けてきた美馬の目には、Pepperなどのロボットは、”新しいインターフェイス”として映りました。

美馬 「スマホだと、目的に応じたアプリを選んで使いますが、ロボットは『これが欲しい』『あれをして』と話しかけるだけで叶えてくれるイメージがあります。これも裏側ではアプリで行っているのですが、このときに人間は『アプリがいくつあるか』なんて意識しようがないんですよ。これは画期的なインターフェイスだと直感しました」

2015年、美馬は、後にパルスボッツのCOOを務め、キャラクターやシナリオづくりというロボットを扱ううえで不可欠な知見をもつ釼持広樹と知り合い、ハイジの創業メンバーのひとりである蓮研児とともに3人でパルスボッツを設立。以来、ロボットに用いるアプリケーション開発などを手がけています。

そうして2018年、パルスボッツが着手しているのが、”自社製”のロボット開発。それは、美馬が想像する、”ロボット同士が心を通わせる未来”を実現させるためのチャレンジのひとつです。

美馬 「今はまだ、ロボットが存在していても、『人間対ロボット』というコミュニケーションにとどまっています。でも、ロボット同士をつなぐことで、新しい世界のカタチができると思っているんです。たとえば、空港で動き回る清掃ロボットと案内ロボットがすれ違いざまに挨拶してる様子を想像すると楽しいじゃないですか。そんな未来に貢献したいんですよね」

人と人、人とロボット、ロボットとロボットーー。このようにコミュニケーションが無限に広がる世界は、きっと面白い可能性に満ちているでしょう。私たちは、ロボットがいることで人の生活が豊かになる未来に向かって、これからも走り続けます。